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〜 配膳 〜



  大学4回生となり、自由な時間が増えたとき、彼女はホテルの配膳のアルバイトをすることにした。
  歴史と由緒あるホテルだったこともあり、そこでマナーを厳しくしつけられた。
  テーブルマナー、配膳方法はもちろん、お客様に少しでも気分よく食事をしていただくための配慮、
  言葉遣い、会場での立ち居振る舞いなど一日一通りの研修を受けた後、
  翌日から婚礼で実際にサービスすることになった。
  
  たとえ入って2日目、サービス初日のアルバイトであっても、
  社員と同じ制服を着て、ネームプレートをつけたら、お客様からしてみると「ホテルの人」である。
  初日はまだ配膳はなく、灰皿交換、ドリンクサービス、食器下げのみのサービスであったが、
  テーブルをまわっていれば、何度も料理の名前や食材の名前の質問などを受けた。
  初めての彼女はメニューはもちろん、さらに細かい食材名などまったくわからない。
  さらに彼女は暗記が非常に苦手であった。
  せっかく教えてもらった答えを戻る間に忘れて、答えに詰まることが一度だけではなかった。
  「大変申し訳ございません。少々お待ちくださいませ」の連発となった。

  次の日から彼女はメモ魔となった。
  料理名や物の置き場所はもちろん、社員や先輩からの指示、その日のミス、仕事の手順、次の予定…
  話を聞きながら、動きながら、どんな状況でもメモをとるようにした。
  それが彼女の仕事の覚えを早くし、自信も生まれた。
  お客様から声をかけられることが恐くなくなると、自ら進んで御用聞きに向かうようになった。

  ある日、婚礼会場でワイングラスの配膳中にお客様とぶつかり、
  グラスがいくつかトレーから落ちてわれた。
  そのとき訓練されていた謝罪の言葉よりも先に、「お怪我はございませんか」という言葉がとっさに出た。
  お客様は一瞬目を見開いたが、その後やさしい笑みを浮かべて「あなたこそ」とおっしゃられた。
  緊張に静まり返っていた場が、次の瞬間春の陽だまりのような暖かい空間と変わった。

  自信と誇りは人間の姿勢を変える。
  小さい頃、「猫背」「胸を張って歩きなさい」と言われつづけた彼女だが、
  いつのまにか人から誉められるくらい背筋がピンと伸びるようになっていた。
  



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