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〜 なまり 〜



  小学2年生の夏に彼女は熊本から新潟に転校することになった。
  彼女のことばやイントネーションには、熊本なまり・方言が染み付いていた。
  それが新潟の子どもたちにとても珍しいものに写った。
  
  「いち たす いち は?」
  彼女は一日に何度もこの質問を投げかけられた。
  「2 たい」(2だよ)
  同じ会話のくり返しにうんざりしながらも、なぜこんなやりとりばかりが続くのか彼女はわからなかった。
  「もいっかいいって!」
  「だけん に〜たい!」(だから2だって!)
  「うわ〜。だけんってなに?」
  「もう、せからしかっ!」(もう、うるさいな!)
  答えれば答えるほど、知らず知らずのうちに方言を使ってしまい、余計にはやしたてられることになった。
  このことで彼女は標準語を使うことを心に決めた。
  周りのこどもたちの発音を真似し、熊本なまりと熊本弁を使わないように気をつけた。
 
  こうして5年が経ち、彼女はまた熊本に引っ越すことになった。
  熊本の中学に入ると、今度は標準語で話すことが「よそもん」という印象をつけてしまった。
  昔住んでいたため、熊本弁に戻すのは難しいことではなかった。
  しかし、彼女は新潟での出来事を忘れていなかった。
  ただ、このままよそもんでいつづけるのは、輪の中に入りづらくするだけ。
  そこで彼女は、語尾にちょこちょこ熊本弁を使っても、
  なまり(イントネーション)は染まらないようにして、なるべく標準語で通そうと思った。
  
  大学で関西に出たとき、なまりがあまりなかったため、彼女はよく関東出身と間違われた。
  彼女は九州出身を決して恥じているわけではなかった。
  むしろ自分が九州出身であることはちょっとした誇りでもあった。
  彼女は初めてなまりがでない自分がちょっと損している気になった。



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